新幹線の安全性と列車事故の歴史について

~上越新幹線「とき」の脱線~

2004年10月23日に発生した新潟県中越地震では、上越新幹線「とき」325号が脱線したことが記憶に新しいです。これは営業列車としては、1964年の新幹線開業以来、40年間で初の脱線でした。

~脱線した理由や脱線で済んだ理由とは?~

新幹線には、震度4前後相当の振動を感知すると自動的に送電を停止して、車両を止めさせるシステム「ユレダス」が装備されています。しかし、以前から直下型地震には対応しきれないとの報道もありました。もっとも、「ユレダス」はもともとP波のみを感知するシステムであるため、その批判は妥当でないかもしれません。
また、「とき」325号は10両編成で、しかも車両が重い200系だったのが幸いしたともいわれています。 16両編成の「のぞみ」などより長い車両では、根からの力が大きく働くのでより大きく揺れ、大惨事になっていた可能性もあったという意見もあります。
なにはともあれ、時速210kmの状態から急停止したのに、151人の乗客には1人もけがはなく、脱線のみで済んだことは、超特急TGVを擁するフランスのAFP通信などでも、奇跡的な事例として報じられました。

~死者100名以上、関東大震災下の悲劇~

1923(大正12)年9月1日に起きた関東大震災では、脱線のほか12件もの列車事故が発生しています。
その中でも最大のものは、熱海線(現在のJR東海道線)で起きた、車両の海への転落事故でした。
根府川駅に入ろうとした、960形機関車、客車8両の下り第109旅客列車は、停車の直前に地震による地すべりに飲み込まれ、最後尾の車両のみを残して約45m下の海中に転落しました。死者112人、負傷者13人におよぶ大惨事となり、遺体の収容や車両の回収にも膨大な時間がかかりました。この時、震災の前年に建てられたばかりの駅舎自体も崩落し、再建された現在の駅には慰霊碑が建っています。

~日本最悪の列車事故は【火災】~

しかし、日本最悪の列車事故は、天災によるものではありませんでした。それは戦時中の1940(昭和15)年1月29日に西成線(現在のJR桜島線)安治川口駅構内で起きた、3両編成のガソリン動力車(キハ42000形)の脱線炎上事故です。
死者数190人、負傷者数82人を出したこの事故は、列車のポイント通過中に、分岐器を切り替えたために起きたものです。この事故の後、戦時中でもともとガソリンが不足していたこともあり、ガソリン動力車は急速に電気や気動車に切り替わっていきました。
これと並ぶ大事故が、1947年2月25日に起きた八高線・東飯能~高麗川間の急勾配区間でのブレーキ故障による脱線転覆事故で、死者184人、負傷者495人にのぼりました。こちらは、老朽化していた木造客車が、買い出し客で過密状態になっていたためだともいわれています。
この2つの大事故は、それぞれ動力や燃料を含む安全技術の未熟と、戦中から敗戦後の社会の混乱による悲劇だったといえるでしょう。

~世界最悪の列車事故は?~

公式記録として残っている最大の事故は、1917年12月22日に、フランス南部・セバンヌ山脈山中のセニストンネル線・モダース付近で起きたものです。第1次世界大戦のクリスマス休暇で帰省する軍人を乗せた超満員の臨時列車が、下り勾配でブレーキ制御を失ったための脱線転落事故で、死者数は543人におよびました。
事故の状況は、前出した八高線の事故によく似ているといいます。冒頭にひいた、フランスの日本の新幹線への高評価は、この記噫によるものなのかも知れません。
また公式記録ではありませんが、以前のギネスブックには死者数最大の事故として、1981年6月6日にインド・バグマティ川で、運転士が牛との衝突を避けるべく急停車しようとして、車両が橋から転落した事故をあげています。公式な記録では268人の遺体が収容されたとありますが、実際には800人以上の犠牲者があったといわれています。

~インフォメーション~


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