~C58407蒸気機関車の展示~
全国で、公園や小学校の展示物などではなく、本当に普通の街中に置かれているSLを見ることのできる数少ない場所のひとつが、東京の豊島区にあります。
~路上駐車している鉄道連隊の生き残り~
SLが置かれているのは、「トレイン」誌を発行するエリエイ出版プレス・アイゼンバーン社の社屋前です。
ドイツ、コッペル社製である同車は、もともとは戦前、千葉県に置かれた鉄道連隊で使用されていたものです。戦後、西武ユネスコ村に展示されていたものを、同社が看板がわりにひきとったものだといいます。
軍用から観光展示品と、まさに戦後の歴史を反映し数奇な運命をたどった1車両であります。
~三池炭鉱に眠る小型電気機関車~
九州の三井三池炭鉱跡地(福岡県大牟田市)近辺には、多くの廃線跡地かあるが、ここには長期に渡り、知られざる車両が放置されていました。
その車両こそがデキ12形、1924(大正14)年から新軽井沢~草津温泉の区間を運行していた草軽電気鉄道で使用されていた、「かぶと虫」の通称で知られる、特徴的なL字型の自社(三井鉱山)発注のGE社製です。
じつは採掘された石炭が最終的に集積される三井三池鉄道の終点・三池港に近い山中の森の中に、このデキが、4両ほどまったく野ざらしのまま置かれていたというのです。もとは三井三池の専用線の6号機として使用されていたものであるという話です。
草軽電気鉄道の廃止は、1962年。翌1963年には、三井三池炭鉱で、死者458人を出す大規模な粉塵爆発事故が起きています。専用線では長らくSLが走っていたといいますが、電気機関車の導入は、火気を避けるためだったのでしょうか。
高度経済成長期の明暗を映す遺物でしょう。
~倉庫となった郵便車~
レストランや喫茶店として第2の人生を送っている客車は時おり見られますが、一般には馴染みのない郵便用貨物列車の車両が、倉庫として第2の人生を送っている姿が観察できる場所があります。
東京の京成電鉄・関屋駅からほど近い場所で、郵便マークの記されたスユ37形の車両が、岡田商事の倉庫として転用され使われているのです。自動車・オートバイ用品などを取り扱う同社が、いかなる経緯でこの車両を人手したかは不明です。
1979年に廃止となった同車は、一般客の座れる座席のかわりに、車内に郵便区分室、便所・休憩室、車掌室などを持っていたので、倉庫や会社の事務所に適した車両といえるかもしれません。
~日本最古の保存車は九州佐賀にある???~
1874(明治7)年に日本ではじめて走ったイギリス製の蒸気機関車が交通博物館にあります、じつはこれをさらに上まわる、真の日本最古の蒸気機関車が存在します。
佐賀県立博物館に所蔵されているその蒸気機関車が完成したのは、幕末の1855(安政2)年のことです。製作者は「からくり儀右衛門」と呼ばれた時計師・田中久重らでありました。ただし、人を乗せて走ったわけではない模型車両です。燃料は正確にはアルコールでしたが、完全な蒸気機関を搭載していました。
当時、藩主・鍋島直正の前で行なわれた蒸気機関車模型の走行デモンストレーションを見た侍たちのなかには、18歳の大隈重信がいました。彼は後、明治政府内で鉄道事業の推進に深く関わることとなります。
この模型は、1959年には鉄道記念物に指定され、これも交通博物館に模造品が展示されています。