東京駅にまつわる【謎】や【秘密】

~東京駅に隠された秘密~

東京駅には、一般に公開されていない場所が数多く存在します。新幹線ホームの真下もそのひとつです。新幹線ホームで、むかいのホームの下をピンクやブルーの作業着を着た人が行き来する姿を、見たことがある人も多いのではないでしょうか。

~文豪ゆかりの赤レンガホテル~

東京駅の丸の内側にある、巨大な駅舎の南半分がホテルだということは、意外と知られていません。この、東京ステーションホテルは、東京駅開業からほば丸1年後の1915(大正4)年11月に開業されました。
当初は3階建てで、当時珍しかったエレベーターには見物客が集まり、客室は天井の高い2階の部屋が上等とされたといいます。
このホテルは多くの文学者に愛用されています。とくに、昭和30年代には川端康成が、南口改札を見下ろす位置にある317号室に1ヶ月滞在して「女であること」を執筆、同作品が原節子主演で映画化された際にも、ロケに利用されたことは有名です。
鉄道マニアで、東京駅の1日駅長にもなった内田百閒は、1937(昭和12)年に、208号室に滞在して随筆「東京日記」を執筆しました。また、松本清張や森瑶子らも、このホテルを執筆の場に利用しています。

~暗殺の舞台となった歴史~

駅舎自体が巨大な史跡ともいえる東京駅の中には、さまざまな歴史的遺物があります。まずは八重洲口にある北町奉行所跡、時代劇では桜吹雪のお奉行として知られる遠山佐衛門尉景元もここに属していました。
丸の内南口の改札近くには原敬首相暗殺の標識があります。 1921(大正10)年の11月4日、原首相は、政友会京都支部大会出席のため、駅長の案内で東海道線下り列車に乗ろうと改札に向かうところを襲撃され、駅長室で手当てを受けるも絶命しました。
1930(昭和5)年11月14日には、岡山県での陸軍大演習視察に向かうため、駅長の案内で特急「つばめ」に乗ろうとしていた浜口雄幸首相が、暴漢の銃撃を受けて重傷を負い、翌年6月に死亡しました。この標識は中央通路10番線側の南側階段にありますが、当時この場所は4番ホームだったといいます。

~まぼろしの赤レンガ通路~

東京駅といえば、赤レンガ。そして、赤レンガといえば丸の内口です。夜になると全長340mの赤レンガ建築に顔個の投光器によるライトアップがなされ、さらにその美しさを増します。
しかし、ひっそりと人知れず輝く赤レンガもあります。たとえば、丸の内南口から八重洲に続く赤レンガの通路もそのひとつです。南コンコースと壁一枚へだて併走するこの通路は、ガス灯をイメージした照明が赤レンガのトンネルのような通路を照らし出し、幻想的な空間を作り出しています。
かつては郵便物の運搬用通路として丸の内南口にある中央郵便局と列車を結び、トロッコが行き来していたといいます。現在は関係者と車椅子を使う利用客だけが見ることのできる、知る人ぞ知る東京駅名スポットとなっています。
ちなみにこの赤レンガは、明治時代の実業家・渋沢栄一が故郷である深谷に作った、当時東洋一といわれた機械式のレンガエ場で作られたものです。JR高崎線・深谷駅が東京駅そっくりなのはこれに起因しています。

~新幹線ホーム下の謎とは?~

新幹線ホームの真下で、むかいのホームの下をピンクやブルーの作業着を着た人が行き来します。新幹線車両の折返し清掃を担当する、新幹線メンテナンス東海株式会社・東京列車事業所の人々です。年間80万両もの新幹線車両の清掃などを行っています。
ホームの真下にはどうやって入るのかという問いの答えは簡単で、真横からです。各新幹線ホームヘ上がる階段中段にある暗証ロック付きの扉が彼らの職場への出入り口です。

~インフォメーション~

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