~LRT(次世代型路面電車システム)~
LRT(Light Rail Transit )という言葉が、新聞やテレビを通して広まってきています。地下鉄より経済的で自動車より環境にやさしい新型路面電車を、見直す機運が生まれてきているように見えます。
~路面電車は今も減り続けている~
しかし国内の実情は、そうではないのです。近年でも、1992年に函館市で1.6kmと北九州市で12.7kmの路線が撤去、1993年にはさらに函館市で3.6km、2000年にも北九州市で5.0kmの路線が消え、2002年には富山県で12.8kmの路線が、経営不振により沿線県市の第3セクターにひきつがれました。
今後も利用低迷により、2005年3月限りで名古屋鉄道が岐阜県の岐阜市内線系統36.6kmをまとめて撤去する予定で、路線延伸の具体案をもつ札幌市でさえ、軌道線の全線8.5kmについて、撤去も視野に入れた検討を始めました。新たなLRT都市が誕生するどころか、既存路線の縮小を食い止める雰囲気もありません。
~広島と長崎に路面電車が残った理由~
そのなかで、広島市の広島電鉄と長崎市の長崎電気軌道が気を吐いています。双方とも被爆都市であることは興味深いのですが、路面電車残存の要因はかなり異なります。
多くの都市で市電が消えた昭和30~40年代、広島でも道路渋滞で定時性を失った路面電車の利用者は減り続け、路線の全撤去は時間の問題と思われました。
しかし、欧州視察で市電の利点を確認した広島県警が英断を下します。 1971年に自動車の軌道内乗り入れを禁止し、その後も電車優先信号や右折禁止ゾーンなど交通法規で、路面電車の走行をバックアップし、ここに日本一の路面電車都市が誕生しました。
長崎では、やや事情が異なります。坂の町で自動車や自転車が普及せず、細長い市街地に伸びた一筋の路面電車つき幹線道路に市街地がはりつき、市民も観光客もこのルートを動くため、乗客の減少が抑えられました。国勢調査の通勤交通分担率も、特異値を示しています。
しかし双方とも、事業者の血のにじむ努力こそが、最大の残存要因であることを忘れてはなりません。冬の時代に新車を買えず、他都市の路線廃止であまった中古電車をかき集め、走る博物館などと不名誉な称号をもらいながら、必死に耐えた成果なのです。
~鉄道線をLRTに変える富山市の挑戦~
JR線を路面電単に変える史上初の試みが、富山で進んでいます。富山市がJRから富出港線・富山~岩瀬浜間8.0kmを譲り受けて改良し、運営会社の富山ライトレールを設立してLRT用車両を導入、まずは運転本数を約4倍に増やし、将来は富山地方鉄道の路面電車と直通運転を実施しようと考えています。
この事業は非常に恵まれています。以前からJRが、北陸新幹線の延伸時に富山港線を手放す意向を示し、国の補助金がついた富山駅高架化事業の事業費を節約でき、同じ県内に廃止寸前の路面電車を沿線自治体がひきつぎ低床新車を入れる前例があり、市内では路面電車の現物が見られるといいます、他都市では考えられない好条件が幾重にも重なりました。
それでも、前例のない事業を立ち上げた富山市の挑戦には頭が下がります。これで成功しなければおそらく次はありません。全国のLRT推進論者が、注目しているのです。
~日本に新たな路面電車都市は生まれるのか?~
今やLRT新設ブームを迎える欧米諸都市。しかしここに至るまでに、膨大な議論がなされたことはあまり紹介されていません。とくに、沿道の住民や商店主に、車道を削ることによるデメリットより、環境対策や市街地活性化のメリットのほうが大きいと理解してもらうことは非常に困難です。
経営面においても失敗例がありますし、そもそも欧米の都市交通は運賃収人のみで経費を賄う発想がありません。
いくら国がLRT 支援のメニューをそろえ、自治体の首長が事業推進を叫んだとしても、沿道の商店などが当然に公道を私物化することが黙認され、地主の権利志向がとりわけ強い日本においては、道路の車線を削ったり新たな用地買収を要するようなLRTの実現は、なかなか想像しにくいものなのです。